33 津波の跡にできた広大な花畑

津波の跡にできた広大な花畑
つくり手陸前高田のおばちゃんたち
レコメンバー瀬尾夏美せお なつみ

推薦文

被災した集落全体を弔おうと地元のおばちゃんたちがつくった花畑は、日に日に広がり、亡くなった人も遠くに暮らす人も旅の人も、みな集える場になった。花々が、草はらになった風景に色をつけていてとても美しく、人々の心を癒してくれた。

自宅跡地に切り花を手向けに通っていた地元の女性が、あるとき花が枯れているのを見つけ、このままでは忍びない、ここで花を育てようと話し、賛同した仲間とはじめた花植えの活動。広がり続ける花畑は「陸前高田の応接間」と呼ばれるようになり、目を留めた人びとや支援に訪れる学生たちが迎え入れられ、日々交流が深められていった。
活動が始まって2年半程が経った2014年秋、復興工事が盛んになり、花畑は解体を余儀なくされたが、当時咲いていた花の一部はメンバーの暮らしていた山側の集落に移植され、現在も活動の拠点となっている。残りの花々は日本各地に分有され、いまもどこかで咲き続けているという。
被災後の陸前高田へ移り住み、まちの人々の暮らしを記述し続けてきた瀬尾さんは、よそ者としての自分の立場に悩んでいたが、この花畑でさまざまな人たちに出会い、受け入れられる経験を通して、まちの人たちに向き合って話を聞き始めることができたという。