45 参治さんの唄

参治さんの唄
つくり手渡辺参治わたなべ さんじ
レコメンバー旗野秀人はたの ひでと

推薦文

1916年生まれの渡辺参治さんは今年104才になる新潟水俣病患者。不治の病と言われる水俣病ですが、どれだけ辛いことがあっても参治さんは唄を口ずさんで乗り越えてきました。五尺足らずの小柄な身体ながらその声量はお聞きのとおり、今なお現役です。

新潟県旧安田町(現阿賀野市)で瓦職人をしていた渡辺参治さん。同町で育ち、『安田町水俣病患者の会の事務局』として患者とともに歩んできた旗野秀人さんが、顔見知りではあった参治さんに再会したのは、70年代の新潟水俣病の運動を通じて。以後、参治さんの唄に旗野さんが合いの手を入れながら、二人三脚で全国を巡ってきた。
患者と支援者という関係を超え、たくさんの人と思いを分かち合う場をつくっているふたり。遠出が難しくなったものの、参治さんは毎年5月4日に安田町で開かれる追悼集会で唄い続けており、新潟水俣病の公式発表から60年以上が経った今でも、その唄を聞きに全国から人々が集まる。米寿記念のCD『歌は百薬の長』の収録から月日は経ち、100歳を軽く飛び越えた参治さん。「もし俺が先に死んだら葬儀委員長やってくれる?」と旗野さんが訊ねると、参治さんから「はいっ!」と元気な返事がかえってくるという。「(そのときには)きっとめでたい唄を歌ってくれるんでしょう」と旗野さんは嬉しそうに語った。



『唄は百薬の長』 渡辺参治さんCDレコーディングの記録