42 三千本の桜山

三千本の桜山 三千本の桜山 三千本の桜山
つくり手会田往男あいだ いくお
会田ツタエあいだ つたえ
レコメンバー島津信子しまづ のぶこ

推薦文

飯館村は突然の原発事故のため、7年間も避難生活を余儀なくされ、村に戻る人は少ない。会田さんご夫婦は、平成9年から植え続けてきた桜3000本を避難生活の中でも手入れし続け、みごとな桜山にした。現在は全国のボランティアと共に花見を楽しんでいる。

「飯舘村にも何か名物があったらいいのに」と考えた往男さんが、おとなり富岡町の夜ノ森桜を思い浮かべながら、1997年より、桜の植樹を始めた。毎年100本から300本程度のペースで植え進め、ついには2000本になり、「東北一の名所にしたい!」と目標を3000本に更新した矢先、2011年の原発事故で全村避難を余儀なくされた。以降、戻ることが困難になった住民も多かったが、「ふるさとに咲く桜を見ると住民が元気になる」と感じた会田夫妻は、桜並木に『飯舘復興の桜』と名付け、避難先から通って手入れを続けた。2017年、再び飯舘村に暮らし始めた夫妻は、自宅に大きなカラオケルームを併設。人が集える場として解放し、ボランティアや住民たちとの交流を重ねている。
民話を通した支援ができないかと飯舘の住民が暮らす仮設住宅に通っていた島津さんは、村の風景を自らつくり、人々が分け隔てなく集える場を開く会田さんに出会い、この土地で生きる人の底力を感じることができたという。